学習のプロセスに革命的進歩をもたらしたい(井上明人「ゲーミフィケーション」)
ファミコン第一世代として
つい先日、今年がファミコン生誕30周年にあたるという記事を読みました。今でも覚えているコントローラーのあの四角いA・Bボタン(すぐに丸型に変更されたが)。小学校の大半の時間をファミコンに投入した者として、ファミコン生誕30周年というのは複雑な気分でした。
なんてもったいない人生の使い方をしたのか。これまでゲームに対しては主に罪悪感を抱いていたのですが、ここ数年「ゲーミフィケーション」という概念が出てきてから、大量にゲームに費やした自分の原体験にもっと肯定的な光を当てても良いのではないかと思い始めました。
ジェーン・マクゴニガルが「幸せな未来は「ゲーム」が作る(原題:Reality is Broken)」で語ったように、「なぜあんなにゲームに時間を使ってしまったのか?」と考えるよりも、「なぜ現実はゲームのように面白くないのか?」という問いを持った方が、よりよい社会を作る上では有用ではないかと思うのです。
ファミコンゲームの面白さを実体験として持っている世代として、面白さのメカニズムを解き明かし、人と社会が変わっていく仕組みとして有効活用することはもはや義務と言ってよいのかもしれません。
日本の教育システムを振り返ると
子供の頃、ゲームばかりしていると「ゲームなんてしないで宿題しなさい!」と怒られたものでした。しかし、本当に怒られるべきは宿題をしなかった子供のころの自分だったのか? 大人になった今引いた目で考えると、私が受けて来た日本の学校システムはお世辞にも学習意欲を引き出す仕組みとは言えなかったと思います。
日本の教育は「何を学ぶか」も「どう学ぶか」もちゃんと考えてあるのかが疑わしい。
確かに、「何を学ぶか」は思想的な問題があるので解は一つではないかもしれない。しかし、「どう学ぶか」という学びの設計に関してはもっときちんとした知見に基づいたデザインの仕方があったのではないか?
私が受けた教育は1人の先生が40名の生徒に講義をする形式が中心でした。しかし、そもそもこの講義の教育効果が疑わしい。
講義は一人の教師の知識を大勢の生徒に同時に伝えられるという意味では効率的ですが、知識を吸収するという学習者の視点からは効率的ではありません。体験学習、グループ学習、ペア・ティーチングなど、学習効率が良いとされる手法があるにも関わらず、45分×6回の講義を毎日毎日繰り返す教育システム。何のためにやるのかよくわからず「やれ」と言われて渡される宿題。
学校が終わったら走って家に帰ってゲーム機にかじりつく少年を「我慢が無い」と言って叱るには、あまりにも学校側の仕組みの方が不備だったのではないかと思うのです。
学習プロセスにゲームを生かす
人はそもそも知的好奇心を持って生まれた存在なので、自分で興味があることに関しては強制しなくても内発的に動機づけられて学習をします。しかし、継続訓練による熟達が必要な分野は、相当強い意志が無いと熟達前に訓練を止めてしまいます。
代表例としては語学でしょうか。英語が話せたらどんなに良いか、みんな頭では分かっているのですが、語学の訓練は勉強のインプットと、話せるようになるアウトプットにタイムラグがあり、「勉強したことがすぐに力になる」という高速フィードバックが働きません。努力が実っているのかどうかわからない時間が相当長期に及ぶため、挫折することが多いように思います。
こうした学習プロセスを補うのがゲーミフィケーションの力なんだと思います。すなわち、
- 学習者のアウトプットに対するフィードバックを高速で行う
- 適切なレベルデザイン(難易度・進捗)を行いフローに入りやすい状況を整える
- アンロックの仕組みを上手く使い、学習が進むに従ってすこしづつ出来ることが増えて行く感覚をつかませる
スキル系の学習は、学習プロセスのデザインを精密に練ることでその効果は格段に高まると思うのです。昔ながらの学習システムで言うと、例えば、公文の仕組みは学習プロセスのデザインがとても良く出来ていると思います。
ゲームとしていて不思議に感じる事があります。それは「失敗」の捉え方です。
例えばスーパーマリオをしている時なんて、ゲームをしている時間の9割は「失敗」をしているわけです。敵に当たって死んでしまったり、穴に落ちたり。それでも、その失敗の時間を含めて熱中出来る。
学習においては人は失敗を楽しむ能力を持っているのだと思います。繰り返し繰り返し失敗して、それでもそのプロセスを通じて新しい能力を獲得していく。失敗のプロセスさえ楽しい。そうデザインされた学習過程が準備できればどんなにか学習者のスキル獲得に役立つことか。
そういう意味で、ゲーミフィケーションの仕組みを学習プロセスの改善にどう生かすのか?そんな取り組みにはとても大きな社会的価値があると思います。
この本が提供してくれることは、ゲーミフィケーションの考え方とその適用事例の見通しのよいオーバービューです。紹介さえている事例は中々興味深く、今後自分がデザインを行う際には参考になるものだと思います。
ゲームを通じて人が新しい能力を獲得する手助けをしていく。そんなことが出来ると良いとホントに思います。