知恵の樹

オーガニックな成長をあなたに

未来を考える(佐々木俊尚「レイヤー化する社会」)

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私たちの常識は歴史の産物に過ぎない

 

「日本」という国はいつからあったのか?と改めて問われると、結構僕らは答えに詰まります。

 

確かに、江戸時代までは日本というよりは藩が「国」の単位のようなものだったわけで、今の国の形は決して永続的なものではありません。富国強兵を目的に作られた国民国家がその役目を終えたのであれば、違う形の国家の形態に変化していくのは時代の流れでしょう。

 

人間が作り出す概念は歴史から自由ではありえない」ということは、近代哲学から僕らが汲み取るべきかなり重要なメッセージだと思います。

 

佐々木さんがこの本の中で、極めて判りやすく解説してくれていますが、僕らが常識だと思うことの中には歴史の産物に過ぎないものが含まれており、それらは歴史の流れが変われば常識ではなくなります。例えば、国民国家と民主主義の概念は存在意義が揺らぎ始めており、より小規模な地域を単位とした新しい社会システムに変革していくことが見え始めています。

 

こうした歴史と将来への見通しを持たずに生活することはとても危険。佐々木さんが伝えたかったことはそういうことなんではないかと思います。

 

 

世代を覆う空気を信用しない

 

佐々木さんの本を読みながら、内田樹さんがちょっと前に書いていた話を思い出しました。

 

我々の世代(30代)以下を覆っている「金銭面における社会的上昇を目指さない」という考え方。「草食」ということなのかもしれませんが、これも歴史の産物でしかありません。

 

バブル世代を見て、「あそこまでがむしゃらに働いて、お金を稼いで、大量に消費して、そんなライフスタイルになんの意味があったのか?」と本気で感じている人は私たちの世代に大勢います(私もその一人)。しかし、それは自分の内面から湧き上がってきたことというより、歴史・社会の環境から私たちが感じ「させられた」ものだという認識はきちんと持っておいたほうが良い。

 

私たちの世代のかなりの数の人が、就職氷河期に直面したということもあり、社会的上昇のレースから進んで「降り」ました。その結果、まとまった数の人たちが生涯低賃金で働くという道を選びました。今の時代の空気は「一定以上の賃金と幸せには大きな相関関係は無い」ということで、より豊かなライフスタイルを送るべく皆が知恵を絞っています。

 

しかし、この考え方(空気)が30年後もそのまま残っているかと問われると、僕はかなり怪しいと思っています。我々の世代がバブル世代の上昇志向と記号消費的なライフスタイルに違和感を感じるように、将来の世代は我々の世代の感覚を「怠け者」「ぬるい」「浮世離れ」などと感じるかもしれません。

 

内田さんは上記のようなことを指摘した上で「年長者として若い方に申し上げたいことは、あなたの感じる常識は歴史的産物に過ぎないということだ。それを認識した上で人生の選択をしなさい」と言っていました。

 

こうした年長者のアドバイスは、人間社会の中のバトンのようなものだと思います。僕らはこのバトンをしっかりと受け取り、それを次の世代に渡していく義務があるのだと思います。

 

 

中産階級崩壊の社会をいかに生き抜くか

 

話を戻します。

 

我々の目の前で起こりつつある重大問題に「中産階級の崩壊」があります。グローバル化と生産と業務の効率化によって、雇用が失われつつあるのです。

 

企業は利潤を求めて効率化を進めますが、それが結果として社会から中産階級の仕事を一掃することにつながり、市場が崩壊する。結果として効率化を進めた企業も市場を失って崩壊する。

 

我々はそんな自分の首を自分で締めるようなことを行っているのではないか?

この予見が暗雲のように先進国の社会に立ち込めており、私たちはどうしても楽観的になることが出来ません。

 

本当に、考えるだけで憂鬱です。

 

私は、社会システムへの依存度合いを減らし、「人間は簡単には死なない。自然を利用して生き延びる英知は人間の中に備わっている」という実感を持たない限り、上記の不安は払拭できないと思っています。そうした実感を得るための活動が、農業などの一次産業に経験として携わることであったり、地域活動に参加することだったりするのだと思います。

 

佐々木さんは「レイヤー」と「<場>との共犯」をこれからの個人の生活のキーワードとしています。これが中産階級崩壊にまつわる不安感をどう払拭してくれるのか。私には正直ピンと来るところがありませんでした。

 

システムが揺らいで「私」が不安に思うということは、「私」はシステムの一部だということです。壊れていくシステムから少しずつ「私」を引き剥がしていくこと。そして出現しつつある新しいシステムに「私」を移植していくこと。

 

それを進めるにあたって、「私」のどの部分がシステムに癒着しきっているのか。それを引き剥がすにはどうすれば良いのか。新しく出現するシステムとは何なのか。

 

それが今私たちが答えを出すべき論点なんですが、まずは雇用に絞って話を進めないと個人の不安感は払拭されません。生涯食うに困らない社会システムってもっと簡単に実現できるのではないか? 私はそんな風に思っていますが、そういう議論を集中的に行っていく時期に来ているのだと思います。