知恵の樹

オーガニックな成長をあなたに

良く生きることを考える(鷲田清一「<ひと>の現象学」)

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国政選挙のつまらなさ

 

参議院選挙が終わりました。

当日は早起きして近所の小学校まで投票に行ってきました。色々考えて誰に投票するかを決め、一票を入れてきました。しかし、投票してつくづく感じたのですが、今回の選挙が私に残した印象は、自分の「投票」という行為にはほぼ何の価値も無いというものでした。

 

子供の時から「あなたの一票は重要だ。だから選挙に行かなければならないのだ」と教えられてきました。選挙権は権利であるけれど、投票はもはや義務のようなものである。そんなことを教えられて育ちました。

 

だけど、これはウソだと思う。

 

誰に投票するのかはもちろん吟味して考えます。その人の主張・信念、過去の実績、当選したらどのような政治を行いそうなのか。その上でこの人に任せたいと思う人を特定し投票する。しかし、日本の国政というスケールで議員の当落を決めるのは時の流れであり、その時の流れを決めるのは「世間の雰囲気」でしかないということが本当に身にしみてよく判って来ました。

 

私の一票は一票としての効力はあるものの、数千万票あるうちの一票でしかない。大河の一滴が無ければ大河は出来ませんが、大河の流れを変えるのは一滴では無い。この違いの前に、国政に対する興味が風船が萎むように消えてしまいました。

 

 

逗子移住計画

 

そんな中、美容院で髪を切ってもらっている時に、雑誌Brutusの「鎌倉・逗子・葉山」特集を読みました。自分が考えるライフスタイルを実現するために鎌倉~葉山のあたりに住みかを変える人がちらほらと出てきているそうで。

 

Brutusはライフスタイル雑誌なので政治的なタームで記事が書かれることは一切ありませんが、僕にとってはこの話は政治的な動きにしか見えませんでした

というのも、移住した人たちは海に近いとか自然が多いとか、そういう住環境の改善に加え、居心地の良い地域内コミュニティを作ることに力を注いでいるように見えるのです。他者とどう生きていくのか、個人と社会はどういう関係でいるのか。そういうことを考え、話し合い、合意形成していく。こういう姿ってもっとも自然な形の政治活動に見えるわけです。

 

僕は個人的に東京という街も好きなのですが、夏の暑い日に髪を切ってもらいながら、ぼんやりと逗子の辺りに引っ越すというのも悪くないなと、そんなことを考え始めました。

 

 

ワークライフバランス改善とはプライベートを充実させることではない

 

ワークライフバランスと聞くと「残業を減らしプライベートを充実させること」と考える人が多いように思います。定時に仕事を終えて趣味に打ち込むとか家族との時間を増やす、というのが一般的なワークライフバランス改善の目的と考えられている。

 

この考え方、本来の意味からずれているように思います。

 

ワークライフバランスを改善させた方が良い理由は、コミュニティ活動に使う時間を捻出するためです。プライベートを充実させるためではありません。

だから、仕事が終わって家(=地域)に帰ったらそこからコミュニティの為に自分の持てる知恵と労力を提供して働く。17時まで会社で働いて、17時からコミュニティで働く。いずれも仕事であって双方ともハードワークです。

 

スタートアップなどは会社組織自体がコミュニティとして機能しています。だから、会社組織の従業員が今よりも生き生きと生きられるように仕事に邁進することこそがワーク・ライフ双方の向上にとっては重要です。(ゆえに、残業を減らすことは必ずしもワークライフバランス向上に繋がらない)

 

コミュニティのために働いた方が良い理由は、それがこの先我々が安心して豊かな生活をするためにどうしても必要な中間集団の活性化に繋がるからです。

 

鷲田清一さんの「<ひと>の現象学」の中で、「原子化」によって社会の中で剥き出しでさらされている個人の危険性が指摘されています。世界の経済構造はもはや個人には予測も制御も出来ず、リーマンショックのような突発的な変動で個人の生活基盤はもろくも崩れていく。

 

そうした中、国家というサイズは「原子化」した個人のつながりを担保するには大きすぎると思うのです。日本人としての国家に対する帰属を強めるというのは、自分の感性を殺して盲目的にならない限り出来ないように感じています。

 

最近、海外の人から日本の右傾化を心配するコメントを聞くことが多くなって来ました。「国家が現在のところ最大の共同体であるとして、国家はその最小化(=小さな国家)を目指す傾向にありながらも、個人を規制するものとしては、逆にその存在がより大きくなっている」という状況は、国の向かう方向としては筋が悪いように思います。

 

 

私にとっての政治とは

 

私は豊かな生活を送りたいと思うし、次の世代には今よりももっと豊かな環境を残して行きたいと思っています。そのために自分は日々どう振舞うべきなのか。開かれた環境で他者と何を議論して決めていくべきなのか。それを考えて実行していく。政治とはそういう活動のことであって、大河の一滴のような一票を投じて終わるよう投票行動をするだけでは政治にコミットしていることにはならないのだと思います。

 

豊かな生活を送るにはどうすればよいのか?よりよく生きるとはどういうことなのか?そうした問いは極めて哲学的な問いであって、日本に限らず先祖達が必死に考えてきた思考の蓄積があります。

 

そうした蓄積を紐解き、我々にとって何が重要であるのかを教えてくれる人はとても貴重な存在だと思うのですが、鷲田清一さんは間違いなくそうした貴重な存在のひとりだと思います。「<ひと>の現象学」という本は話題は多岐に渡りますが、我々がよりよく生きるための思考の刺激を与えてくれる本です。

 

 本を読んで私は色々考えさせられました。