知恵の樹

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面食らうリーダーシップ論(ジョセフ・ジャウォースキー「源泉」)

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論理性を考え直す

 

「論理的である」とはどういうことなのでしょうか?

 

物事を構造として捉える。全体を部分に分けて考える。因果関係を把握する。真因に対して解決策を打ち、その結果を測定する。

こんなところでしょうか。特にビジネスの文脈においては、ロジカルシンキングのようなものが広く流通したため、論理的に物事を考えることを良しとする空気が支配的になっています。

 

ジョセフ・ジャウォースキーの本を読むと大半の人は面食らうと思います。というのも、この本「源泉」は特にそうですが、彼の本は一般的に信じられている「論理性」というものにこれっぽっちも価値を置いていないからです。大半の人にはこの本が何を語っているのかまったくもって判らないと思います。

 

彼にとっては、上記のような「論理性」というものは「還元主義的考え」に過ぎません。そして、人間の営みは還元主義では正しく捉えることができない複雑系システムであり、このシステムを理解し行動していくには別の思考と行動のモデルが必要だ、と考えています。

 

 

人類は長い間複雑なシステムと繋がり理解する方法を探求してきた

 

私にとってもこの本は理解しやすい本ではまったくありません。タイトルでもある「源泉」が何のことなのか明快に説明されているわけではないので、Uの谷の底で何が起こっており、それを引き起こすにはどうすれば良いのかは、私の中で引き続き考え続けなければならない課題として残っています。

 

それでも、この本を読むことは私に大きな気付きをもたらしてくれました。

 

それは、「人類は長い間複雑なシステムと繋がり理解する方法を探求してきた」のだということです。「源泉」とは結局、網の目のように広がる自分を超えた何か、のことで、それは仏教でいうところの「色即是空」の世界なんだと思います。

 

歴史的に多くの人が直感的に自分を超えた大きな存在があると感じ、それが何であるのかを突き止めるために哲学を起こし思索を進めてきました。また宗教の世界ではこの何か大きなものに神という名前をつけて探求の対象としてきました。

 

どういうわけか、現代に生きる我々はこうした祖先の思索の成果をまったく無かったもののように扱い、単純な因果関係で理解できるものと目に見えて測定可能なものだけを対象としてモノを考えているように思います。

 

サーバントリーダーシップを始め、最近のリーダーシップ論では「リーダーとは未来を見る能力を持った人・メンバーに未来を感じさせることができる人」と捉えているようです。

 

測定出来ず目には見えないけれども確実にそこに「ある」もの。それは深遠な価値観であったり、歴史や社会の流れだったり、もっと根源的な「何か」だったりするわけです。そして、その「何か」を捉えようしてきたのが哲学だったり宗教だったりします。

 

実業の世界では無きモノとされていた哲学的・宗教的アプローチが復活し、「リーダーシップ」というキーワードの元にその重要度が増していく。そして還元主義的なアプローチと統合されてバランスが回復されていく。近い将来訪れるそんな未来像を見た気がしました。